2011年03月01日

はなむけ

今日はこの辺、高校の卒業式
うちの子供は違うけど
たまたま母校の側を通り掛かった
校歌の歌詞
当時は何とも思わなかったけど
今は心にしみる

『日に新しき思いもて』

一生、そういう気持ちは大切だよね
posted by ぢゅごん at 12:49| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月21日

あくまでも私個人の好き嫌い

あたしは変わり者であるため、大多数の意見とは違うことが多いから
それについて「いい悪い」と訴えるつもりはない。
単に、あたしが「好きか嫌いか」という基準の話だ。

あたしは手作りとか、家庭的とかをうたう商売が好きではない。
程度によっては大嫌いだと思うことさえある。

昔、昭和の時代には
彼氏に一生懸命マフラーやセーターを編んでプレゼントするという習慣が
女子力のバロメーターのように扱われていたころがあった。
その頃は「下手でも心のこもった手作りバンザイ」な風潮だったが
ちょっと後期になると、女子高生向けの雑誌でも
「下手なものよりは上手なもののほうが断然イイわけだから
 頑張って上手なものを作って贈れ」と変わって来た。
もらう方の男子だって、下手くそで目も当てられぬようなものを身につけろといわれるのは
いくら彼女の手作りだからといって恥ずかしいわけだよ。

そんな中高生の頃から、手作り「だから」いい、とか
素朴「だから」いい、って価値観には違和感があったのだ。

それが自分だけで、あるいは同じ価値観の人間関係の中だけで
満足いっている話なら別にいいんだが
こと『商売』という路線に乗せるなら
あたしは否定派だ。

手作りが悪いというのではない。
その完成度が問題なのだ。
商売として技術に金を取るというのなら
手作りだろうが量産だろうがそれ相応の完成度が求められて当然だと思うわけだよ。

例えば。
学校のバザーで、どっかのお母さんが趣味で作るお菓子を
安価で提供したとする。
それはお金儲けのためとは意味合いが違う。
材料費は作ったお母さんの自腹であり、バザーへの提供品ということで
儲けはおろか材料費すら貰わない。
クッキーが¥100で売られるか¥500で売られるかはわからないが
そのお菓子の完成度に支払う対価ではなく
バザーというものに対して寄付するという意味合いの支払いをあたしはする。
だから食べられる程度のものであれば満足するし、
たとえ不味くて食べられなかったとしてもドンマイなのだ。

それと違い、どこそこの店で売られている
商売の「商品」として置かれるなら
その金額に見合ったものでなければ絶対に嫌だ。
あたしが手作りとうたうものが嫌いな理由には
「手作りなんだからこんぐらいでも仕方ないじゃん」という甘えが
見え隠れするからだ。

手作りだろうがなんだろうが、お金を取って商売する以上
金額に見合ったものを提供するのが当たり前だと思うわけ。
形が不ぞろいでもしょうがないじゃん、
見た目が無粋でも素人なんだからしょうがないじゃん、
味がイマイチでも手作りなんだからしょうがないじゃん・・・・・
・・・・・・だったら家でやってろ、と思う。
手作りのものは量産出来ないため金額は高めである。
こんな金額でこの程度かよ?って思うことの方が多いのだ。
そしてそれを当然というか、しょうがないじゃんという意識でいるのが嫌だ・・・。

それが商売としてでなくても、プレゼントにしたって
こんな完成度の低いもの貰ってもなぁ・・・・?ってレベルのものは
正直言って捨てにくいし困るのだ。
もちろん、売り物並みのクオリティの品物もあるので
そういうのはその「気合い」に感服し非常に嬉しく思う。
それに、中高生ならまだしもこの歳になって、
贈り合うものが完成度の低い手作りってのは哀しいものがある・・・のね。
決して高級品を贈れということではないのよ。
ただ、手作りが一番なんだからね!という価値観は
どうしても好きになれないのだ。
気持ちがこもっているというのならば
その相手が一番望むものが果たしてこのクオリティのものなのかしら?と
考えて欲しいのだ。

お店もそうだ。
お金を払って日常とは離れた時間と食事やら空間を「買う」とあたしは考えている。
だから家庭的といえば言葉はいいが
どっかの家庭生活をそのまんま店という仕事場に持ち込んでいるようなお店は
二度と行きたくないのだ。
そこはもう安い高いの問題ではなく、
レストランのカウンターの端っこにランドセルが放ってあるような
家族の生活が滲み出るような空間にお金を払うのは嫌だという感覚の問題だ。
そういう家庭像が嫌なのではなく、そんなものはお金を払わなくても
自分の家にふんだんにある(笑
お金を払って自宅以外に出向くというのは、
あたしにとっては「非日常」を買うということなので
生活臭がするということはがっかりすることなのだ。

ちょっと飲み屋の女将さんが家庭的でそういう店が好きだってオヤジがいるだろうし
べつにそれはいてもいいが
あたしは嫌だ、ってだけの話よ。
家庭的というか生活臭を隠さない、ってことに対する思いかな?

仕事場に子供の日常を持ち込む店というのも嫌だし
(子守しながら自営業ってのはわからなくもないが)
そんな感覚で周りを見ている自分。

そういうわけで(どんなわけ?)
うちの相方が手作りバンザイな感覚というのも
はっきりいって迷惑な時がある。
花壇や庭の造作っていうことを
とても完成度の低い、自前でやろうとするのだ。
自分ちだから手作りだっていいのだが、やはり長く使うものが「コレ?」というレベルだと
とても不愉快だったりする・・・。
それならプロの手を入れられるまで貯金するなりして
大げさにいえば一生ものの完成度の庭にして欲しいのだ。
うわぁ・・・・・って感じで手を入れられる方が
放置してあるものより物悲しい気がしてしまう。
いや、このへんは相方にしてみれば
放置してある方がみっともないらしいが。


なんかふと、産直市場に行って感じたことだった。
posted by ぢゅごん at 12:52| 宮城 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

もはやこれまで

ちょっと物騒なタイトルだけど
そんな話ではなく…



なーんかいろいろ気を遣う状況になっちゃって
なんだかもう
メンドクセ…
posted by ぢゅごん at 00:06| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

そーべつかいのおまけ

酔っ払いを抱えて帰宅中
お巡り三人に囲まれ
職務質問されました
ばかか?
ただ歩いてただけだろーが

質問があまりに人を小ばかにしてるので
ムッとして反論し
さっきまで同席してた友人に
助けて〜!って
『お巡りに見えるように』
メールを打った
そしたら即時解放…

お巡りって
ちょうどよさ気な人しか
餌食にしないんだな


ちょっと前
友人のDVで相談に乗っていたんだが
ケーサツの対応は
『警備員じゃないから』
何も起きていないうちは
何もしないそうだ
だから、人が死ぬんだよな
posted by ぢゅごん at 00:28| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

バレンタインらしく…

DVC00249.jpg
娘作:マツタケの丘だそうな(笑)

たけのこの里
きのこの山
そして新作が…コレ…か?
posted by ぢゅごん at 20:39| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

死ということ

昨年、わたしには
知人の思いがけない死が重なった。
深く付き合いがあったわけではないが
世の無情というものを
こういうことなんだなぁと感じたりもした。

ひとはいつか死ぬ。
だから後悔しないように
精一杯生きるのだと目標に掲げる人もいるが
それが死を招いたとしたらどうなる・・・

理不尽に他人に標的にされ死を迎える人もいる
ほんのわずかな不注意で死を迎える人もいる
不意に病に倒れる人もいるだろう
自ら選ぶ人もいるのが現実だ

自分の死を覚悟できる時間があることを幸せだというつもりはないが
なんの心構えもなく迎えることと
比べることも無意味なんだろう
人は死を迎えたいわけじゃないんだから

ただ
思うのは
きっと多くを残して行ってしまったね
あなたたちは・・・
そういうこと

これからの未来を
生きて欲しかった
自分勝手でもいい
わがままでもいい
他の人から批判されるようなことがあっても
あなたに生きていて欲しかった
きっとあなたの家族は
永遠に思っている

他人の私でもこうして涙を流す
あなたが死んでしまった理由
人間の「心」を育てられなかった子供を
罰することでしか
あなたに償えない
それでもあなたはここに戻ってこれない
どんな償いも罰も本当は要らない
あなたがここにいるのなら

あれから、を思う
実は何も変わっていないのではないかと感じる
未だ人はひとを傷つけている

誰かに愛された実感がなければ
ひとを愛するということの意味を知ることはないのだそうだ

でもわたしはひとを殺したりはしない
愛されなくても殺したりはしない
その違いはなんだろう?

あなたが今も変わらずここに存在していたなら
今日という日はなんでもない日だったろう
posted by ぢゅごん at 02:04| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたを想う

数百日前のこと
あなたは思いがけないことで
死んでしまった
まさかその日に自分の未来が失われるなど
想像もしていなかっただろうね

それからの日々を
あなたの死を知っている人達は
変わらず生きている
次々と知らされる事実を
それぞれが考えながら

あたしはあなたのことを
少しのことしか知らないけれど
あなたの死を
忘れることはないだろう
あなたを死に追いやった人物も
知っている人だった
可哀想な大人が可哀想な子供を生みだし
不幸の連鎖を止めてやれなかったね
こんなに哀しいことはない

遺影を持つ友人の
まるでそこにあなたがいるかのような振る舞いに
あたしはずっと涙が止まらなかったんだ
堂々と歩いてゆくそこに
あなたがいないことが
どんなに哀しかったか
あなたの家族は言葉もなかったね

あなたが死ぬことはなかった
あなたを死に追いやった人間が
悪魔になる前に
誰かが止められることだったんじゃないか
あたしは今も
思いめぐらすと泣けてくる

あなたがもう帰らないこと
それだけが今あること

posted by ぢゅごん at 01:42| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月28日

名作というのは

たとえば。
あたしは女だから、経験値は「女」のものである。
だからヤリタイ盛りの男子高校生の心理などは想像でしかわからない。
でも、女の側の不満や心理は分からないでもない(だって所詮他人の感情だもの)。
sexばかりを望む彼氏の会話の無さを不満に思うからといって、
また会話するのがおっくうだけどsexはしたいからといって、
その恋人同士が破たんしているかというとそうではないということ。
そこを淡々と描く漫画家を、あたしは物凄いいい作家だと思うし
その漫画を名作だと思っている。

いや、sexがどうのと言いたいわけではない。
日常のごくありふれたものを淡々となんてことなく描くだけなのに
広い世界がどんどんと見えてくることがすごいと思うのだ。

友人の女の子とコタツでぐだぐだしているうちに、なんとなくsexしてしまうことがあっても
でも恋人と別れようってことに直結はしない。
そりゃぁバレれば別れ話で大騒ぎなんだけれども
その男子が望んでいるのは、恋人との永遠でもなければ
浮気をしたいヤッてヤッてヤリまくりたいという究極の性欲でもない。
そこに「なにか」があったから「なにか」が起きるだけであり
その結果はまぁ予想外だったり予想内だったりするだけだ。
日常にはそんなに大仰なドラマは仕掛けられていないのだから。

道の途中の彼らには用意された答えがないから
まぁいい加減に見えたり考えなしに思えたりする行動が満載なのだが
やっぱり親の暮らしを無視して生きているのでもなければ
恋人に情の無い行為をすることもやっぱり胸が痛んだりするわけで。

そういう部分をさりげない風に描ける人が
すごいと思うのだった。

ちょっと昔のマンガを思いだしたので。
posted by ぢゅごん at 22:57| 宮城 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

ガス抜きなだけの言葉。

親との関係、過去未来。
それによってどうしても踏み出せない
拭いされない思い、瑕。
これからの子供とのこと。
・・・それは少しだけかな。
あたしは本当のことを言うと最近
親のことに思いが向かうと死にたくなる。
実際には絶対に自死を選びはしないのだけれど
漠然とそんな気分になったりする。
消えたいっていう感覚に近いのかもしれない。
死にたいと情熱を傾ける気分ではなく
なんとなく絶望する。
あたしを徹底的に否定してもあなたの味方にはならないよ・・・
あたしがあたしの非を認めてあなたにひれ伏すなんてことは
地球が滅亡してもないことだよ・・・
posted by ぢゅごん at 22:25| 宮城 ☀| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月23日

情けないね

女のことしか頭にないバカ親
自分の子供がどんなに傷ついたか知ってるはずなのに
おなじことを他人にしていることに気づかないバカ親
誰がいいとか間違っているとか
そういうことじゃなしに
味方になる人の重要さを
知ったはずだよね?
そのことを自分の子供に言えないの?
女のケツを追いまわすのも勝手だが
自分の子供がいい思いをしているのなら関係ないねという考えなら
ま、そういうアンタだから軽蔑しているんだけどね
posted by ぢゅごん at 23:23| 宮城 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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