2011年01月25日

ガス抜きなだけの言葉。

親との関係、過去未来。
それによってどうしても踏み出せない
拭いされない思い、瑕。
これからの子供とのこと。
・・・それは少しだけかな。
あたしは本当のことを言うと最近
親のことに思いが向かうと死にたくなる。
実際には絶対に自死を選びはしないのだけれど
漠然とそんな気分になったりする。
消えたいっていう感覚に近いのかもしれない。
死にたいと情熱を傾ける気分ではなく
なんとなく絶望する。
あたしを徹底的に否定してもあなたの味方にはならないよ・・・
あたしがあたしの非を認めてあなたにひれ伏すなんてことは
地球が滅亡してもないことだよ・・・
posted by ぢゅごん at 22:25| 宮城 ☀| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

義務と言われても

昨夜伯母と電話で話した
以来気が滅入る

親だから
親なのに

そういう理屈を乗り越えた人を
いっぱい知っているけど
あたしはどうしたらいいんだろう

気持ちが折り合えない

あの人たちがどうなっても
何も感じない
捨てたい
自分も、あの人たちも
posted by ぢゅごん at 21:19| 宮城 ☀| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月19日

妻は異常です

先日仲良くなった人と飲んだ時の告白。
悪妻だとか鬼嫁だとかそんなレベルの話ではない。

妻は子供を精神的に虐待するんです、と。

自分ではどうすることも出来なかった生い立ち。
そうするしかなかったギリギリの選択をした親・・・。
そんな理屈がわからない歳でもないあたしたち。

けれどさまよった子供時代の傷を未だ抱え
苦しんで苦しんで今も自分を殺し続けるその人の妻。

あたしにはわからないでもない。
虐待を認めることはないけれど、
いい子じゃなくても私を愛してくれる?って問いを
死ぬまで持っているんだよ・・・愛されないで育った子供は。

一生懸命いい子でいても、たとえば今の友情を愛情を・・・失ったら?
耐えられないんだ。

どこかで悪いことをする。
だから「自分は愛情を失っても仕方のないことをしてしまったのだ」と理由づける。

反面。
いい子じゃなくても愛して愛して愛して愛して愛して・・・・・
私の全部を存在自体を愛して愛して愛して愛して愛して・・・・欲しいのだ。

これでもかこれでもかと、愛して欲しい対象を試す癖。
それが愛を失わせているというのに。

あたしは異常だ。
いつか親を殺すんじゃないかと思っていた。
だから逃げた。
家から逃げた。


あたしは死ぬまで異常なんだ。
posted by ぢゅごん at 21:50| 宮城 ☀| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

私には無理なこと

死ぬほどではないが肉体的な暴力を受け
死ぬほどではないが精神的に病んで暮らした実家での年月
そりゃぁ親には親の事情があっただろう
祖父の存在
経済的なこと
父の『家庭人失格』ぶり
母の『普通から振り落とされた焦り』
そこに暮らした21年間で私の責任をチャラにはしてもらえないだろうか?

あんなに暴れて母や私を痛めつけた父が
年老いて
若き日に勝手気ままに暮らしたつけで今の暮らしが豊かでないこと

その責任を負うのは私なのか?

確かに成人するまで学校は難なく行かせてもらったし
食べたいものを食べ、病院にも行かせてくれて
はたから見れば「何不自由ない暮らし」をさせてくれたんだろう

心はとても重く不自由だったが
他人にそれはわかるまい

稼いだお金を湯水のように繁華街にまき散らし
飲んで暴れる父親に
愛情を持てと?
仕事もせずに寝て暮らすアル中の父親に
愛情を持てと?
その時期に貯蓄もせずに飲み明かした金銭が
いまの老後の暮らしに不足しているからと
可哀想な自分、を被って生きるのは自由だが
援助しない私を悪モノにするのは誰なんだ?

貧乏になったのは時代でも商売の跡継ぎがいないからでもなく
先行きを考えずに飲んで暮らした自分のせいではないか

実家へ殆ど行かないことを
義母にとがめられた
まぁそんなふうに思うのが普通の感覚だろう

楽しくない所へは足が向かないのは当たり前だ
用事があれば行くが、
実家では母親と言い争いになるのが常だもの
なるたけ行かない
精神的に辛い

この先親の介護などの問題が降りかかるのだろう
実際の問題として、仕事をしなければこちらの家庭が立ち行かないのだから
人手を頼ることは間違いがない
そのための準備もある程度はしている実両親だが
きっと周りは騒ぎだす

親を大事にしろと
親孝行しろと
いい加減大人になって「反発」するのをやめろと

反発?
あんなに精神的に追い詰められた暮らしを知っていて言うのか?
二度と実家には戻らない
あそこであの人たちと暮らすのは死んでも嫌だ
私がワガママ放題な勝手気まま娘だからそうなんだ、というなら
それで結構

あの人たちに
愛情はない
憎いというのとも違う
もう私の人生に染みを作っていくのは止めて欲しいだけだ

孫の「優しいじいちゃんばぁちゃん」でいるならそれでいい
何も言うつもりはない
posted by ぢゅごん at 22:06| 宮城 ☁| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

食べること、の意味

私は実家との縁が薄い。
というか、自ら離れたのだけれど。
普通の親子関係(感情)が結べなかったので
離れていることでお互いの平和を保っていると思っている。
親の方はどうだか知らないが。

ただのワガママ娘の甘ったれた話だと思うならそう読めばいい。
ここはあくまで私の部屋だから、勝手に書きつけるだけ。

父と母は気づけば不仲で、祖父は変わり者で母とも合わず
私だけを溺愛しそれがまた母と私との関係を悪化させる。
父は酒乱で暴れまわって私にも母にも暴力を振るうが
それでも私には理解があり、母よりも通じ合っていたことは間違いない。
母は全力で私に『普通』を望んだ。

普通に母を愛する家庭を望んだのだろう。
あの家で母の人格を認めて扱ったひとはいないのかもしれないし。
心身ともに忙しく暮らし、余裕のない母の味方をする人さえいなければ
そりゃぁ〜母の苛々は募る一方だろう。
母は私に辛く当った。
最後には必ず「そういうところはお祖父さんやお父さんにそっくりだ!」
と、言葉を投げつけた。
父や祖父のように、自分の思い通りにならない私、を
否定するのが母と私の毎日の暮らしだった。

懐かない子供、と
懐けない母、の暮らし。
父の暴力、祖父の異常人格。
父と母の絶対的な不仲。

私の選択は「関わらない」だった。

家族の誰がどんな思いをしていようと
それを感じる部分を塞いだ。
自分の感性を全部「関係ない」というセンサーに置き換えた。
祖母が亡くなっても祖父が亡くなっても
悲しいなどとも思わなかった。
ざまあみろと思ったわけでもなかった。
私には関係のないこと、だった。

母がどんな愚痴をこぼそうとも
聞き流していた。
父や祖父の悪口にしかならない愚痴をいつも言っていたし
小学生の私に処理はできなかった。
父のことも祖父のことも嫌いではあったが
「そういう人にそっくりだ!」
と罵る母の方が嫌いだった。
「あんたは優しさがない」
「あんたは父親に似て不細工だ」
「あんたはお祖父さんに似て意地が悪い」
「あんたは普通じゃない」
私は母に笑顔でほめられたことは一度もない。

母は、自分の友人に私のことを話すとき
「ほら見て、コレコレこういうところが父親に似て良くない所なんだよ」
という言い方をした。
友人たちに子供自慢をする必要もないだろうが
面と向かって卑下して話すこともないだろうと思うのだが
そんなことに不満を持つのがおかしいのだろうか。
何か不満げなことを言うと、
「あ〜らおっかない。そういうところもお祖父さんそっくり!」
と言われる始末。
例えば部屋が汚いから綺麗にしなさい、ってことを言いたいのなら
どんなに反抗的な子供だったとしても、直接
『部屋を片付けろ』
と言えばいいだけだと思う。
かげで何を言っていたとしても。
母は必ず私と他の大人がいる場面でしか私に注意せず
「うちの子供は部屋を片付けないから汚いんだよ〜」
と恥をかかせる手段で注意した。
ある時は、私の脚の汚れを見つけて
大勢の大人の前で
「あらぁ〜◎◎さん(側にいた知人)見て、ぢゅごんったら
 お風呂で綺麗に洗わないからあんなに脚が汚れている!」
と笑い者にした。
私は綺麗好きなんだけどぢゅごんは「私の言うことはきかないから」
こんな風に汚くしているのだ、と。

いつだったか私は母にやりかえした。
父の友人の奥さんが来ている時に、母の失態を指摘してやった。
その奥さんが反応に困るような辛辣な内容で。
その場が済んだ後、母は猛烈に私を叱った。
「ひとがいるときに何であんなことを言うんだ!」と。
それはいつもアナタがしていることじゃないか。
母に叱られることなど何ともなかった。
母に恥をかかせてやったことが小気味よかった。


父は飲んでは暴力を振るい、それは未だ大きなトラウマを残しているが
相反するように私の理解者でもあった。
私の、普通でない家族のなかで伸びてしまった「普通ではない私」
という部分を、お前はそういう個性の人間なのだと認めてくれていた。
母が何でもかんでも私を否定しているときに
「俺の娘だもの、そんなもんだろう」と笑い飛ばした。
不良じみた自分の娘が、ひと様に自慢できるような優等生であるわけがない。
自分の為の勉強をしろ、という意味では
宿題だの成績だのうるさかったが
誰それと同じレベルでいろ、とか
誰それよりもどうだ、とか
そういった対応はしなかった。
自分が行きたい学校に行くためには見合った努力をしろ、
ということだった。
母は「普通の女の子が行く学校へ行きなさい」だった。
どこそこの誰ちゃんは何番だっただの
あそこの誰とこっちの誰は「普通」みんなが行く学校を受けるのだ、だの
とにかくみんながすることに私も乗っかれ、という考えだった。
高校を少数派の分野で選んだ時、自分の友人の子供が不合格だったからとか
自分の甥っ子が不合格だった過去があるから、
気まずいから受けるなと言った人だ。
私の成績やその後の進路に対して心配だからという視点ではない。
「普通」の人は、そういうことに遠慮するものだというのだ。
その時点で父と大喧嘩していたようだけど。


そんな母が最大に私を傷つけてきた言葉が
容姿に関する言葉だった。
本当のところは知らないが、祖母や父を昔から知る人たちは私のことを
『美人さんだねぇ〜』とお世辞を言ってくれていた。
だからって自分を美人だと思って暮らしてきたわけではない。
子供心にもお世辞だってことぐらいは理解できるものだ。
面と向かって、あらこの子ブスね、なんて
まず言わないだろう。
小さいころはすば抜けて背が高く体格がよかったので
いつもそのことを話題にされた。
きっと身長と体重のバランス的には「肥満」ではなかったのだろうが
大柄な子供で、決して痩せてはいなかった私を
「体格がいいのねぇ〜」と他人が一応誉めた(?)とき
母は「父に似て頭や顔が大きくて足が短い」だの
「お祖父さんが気ままにさせてるから肥満児になるって心配されて」
だの・・・私の目の前でいつもいつも体が大きいことをけなしていた。

確かに私は食習慣が乱れている環境だった。
間食するなんて当たり前のことだったし
好きなものを好きなくらい(といっても贅沢な食生活ではなかったが)
いつでも満腹になるまで食べられた。
その食生活を改善するのは母ではなく
私が気ままだからブクブク太る、という理屈になっていた。
100%違う!とは反論できないことではあったが
私が太っているのも頭がでかいのも足が短くてスタイルが悪いのも
全部『母親のせいではない』のだった。
というか、そんなこと
一体誰のせいってつきつめて考える人がそんなにいるのだろうか?
太っている人は、単にあぁ〜太っている人だねぇって思われるだろうし
痩せている人も、あぁ〜痩せている人だねぇって思われるだけで
それが誰に似ただの誰のせいだだの、
なんでそんな話になるのかはよくわからないんだけど。
母はどこまで深く考えて言っていたのか知らないが
私をけなすことで私が改善すると考えていたのかもしれない。

私に残ったものは容姿へのコンプレックスと
普通じゃないという感覚への罪悪感だった。


多分、中三の受験期の私の体重は65kgくらいあったんじゃないだろうか。
太っている自分というものを突きつけられるのが嫌で
健康診断の時以外体重計に乗らなかったけど
高校受験で合格し採寸した制服のウエストサイズから考えると
きっとそのぐらいだろうと思う。
母は二言目には「太ったんじゃない?」と言っていた。
だからどうしようか、という提案ではなく
太っていることは悪いこと、だから食べるのをやめればいいのに
やめないだらしないところは父にそっくり・・・・
というグチグチが始まるので耳に栓をするような毎日だった。
私自身は太っていることにコンプレックスを持っているくせに
真剣に痩せたいなどど思って努力するなんて姿勢はなく
ただただいじけているだけだった。

高校生になり、ちょっとした偶然で運動部に入ることになってしまい
それがまた物凄い重労働な運動部だったために
秋口には体重が52sになっていた。
しかも運動で筋肉がつき痩せたわけだから
胃がはち切れるほど毎日食べてもどんどん痩せて、の結果だった。

まぁ結局体重管理なんて意識のない私にはその体重を維持できず
二十歳くらいのときには57〜8sあった気がするけれど。


そんな頃、知人の娘さんが拒食症で入院したという話を母がしていた。
当時はそういう病気の認知度が低く、テレビで聞いたことあるよね位の
あんまり身近ではない病気だった。
「あそこのお母さんはあれこれ細かすぎて、子供にも夫にも
 細かく管理しすぎるから娘さんがそんなことになるんだ」と。
「拒食症っていうのは母親との関係に問題があるんだってよ!」
と、どこで聞きかじって来たのかそんなことを言っていた。
ふぅ〜ん・・・・と聞き流していた私であった。


その後結婚し、出産だ育児だなんだかんだとしているうちに
仕事を始めることになった30歳当時の体重は60sを超えていたように思う。
スーパーおでぶではないにしろ、立派なデブですね。
相変わらずそんな自分の容姿にコンプレックスが強く
上の娘が体格がいいことすら悩みのタネで
下の子たちがそろって小柄ちゃんだったことが嬉しいと感じてしまうほどだった。


仕事がきつくて55sぐらいに減ったりしたりはあったものの
結局は過食気味な生活習慣が変わらないものだから
すぐに太る。
仕事が変わって消費量が減ったら途端に65sくらいになっていた。


そして去年のあの頃。
ひとに裏切られる、ってことがあんなにショックだと初めて知った時。
私は食べることを拒否しだした。
食べることが苦痛で仕方なかった。
何故食べることに、症状が向かったのかは病院へ行かなかったから分からないが
自分のコンプレックスへの裏返しなんだろうと思っている。

太っているからダメなんだ、という思い。
あなたはダメな子供なんだ、という刷り込み。

私を裏切ったひとは私の体格をどうこう批判したことはないけれど
その傍らにいる人は何度も私の体型を笑いものにした。
そういう人に好きかって言われる悔しさ。
私自身を否定し続けた母の言葉、容姿への罵り・・・

明らかな思いで『痩せたい』と思ったことはない。
けれど、私の何かが、食べることに罪悪感を感じさせて
皿を空にすることができなくなった。
シュウマイ一個を完食出来ないのだ。
半分かじっては皿に戻した。
半分注いだ味噌汁を、その半分しか飲めなかった。
かといって大盛に盛ればそれがプレッシャーで食卓につけなかった。
物を噛むことがいたたまれないほど辛かった。
その頃の私の一日の総摂取カロリーは300㎉ほどだった。
ビタミン剤とカルシウム剤を摂取しなければ
体調の維持も出来なかった。
そんなことを3カ月も続ければ誰だって痩せるさ。
父は何故か母を「お前はブクブク太るのに娘は苦労して痩せてて・・・」
と叱りつけたらしいが
母は案の定「あんたのせいでお父さんに文句を言われた」ときた。
「あんたはお父さんの娘だから鬱じゃないの?」とか
(父は鬱病ではないがそれは診断を受けていないからであって
 きっと診察を受ければ鬱状態なり鬱気質なりの診断があるだろう。
 そして間違いなくアル中なので入院レベルなのだ)
私の体を心配しているというメッセージなど期待してはいないが
あんたが調子悪いと迷惑だからなんとかしてよ、という話は
正直他人からだって聞きたくない心境なのである。

義父母は悪意はないが、食べられないという状況の私を知ると
食べなければだめなんだ!ということを必死に説得にかかる。
そんなことは分かっているがどうにもできないからこんな状況なんだ、
ということはなかなか分かってもらえない。
会うたびになんで食べないのだ、と言われることが
辛いことでしかない。
頑張って食べないことが悪いんだからあなたが頑張らないのが悪い、
とは言ってないが言われているような心境におちいるのだった。
だからどちらの実家にも殆ど行かない。


そんでもって体重を言えば、最高48sまで落ちた。
今になって友人には、あの頃のあなたは見られたものじゃなかったと言われた。
痩せたこと以上に険しい顔つきが、生気がなくて見られたものじゃなかった、と。

今も正直にいえば食べることが怖い。
どこかにリバウンドの恐怖があるのだろうと思う。
拒食症で治療と言うほどのレベルではなかったから
体重的に見ればごく普通の体型だ。
その「普通」が魔物なんだ。
今の私が普通・・・そこから出るのが怖い。
食べることになかなか解放されない。

友人がリハビリ飲み会を開催してくれるのは
普段、朝も昼もともすればまた300㎉の食生活に戻ってしまい
一週間で4s減なんて当たり前のようにやってしまう私を連れ出して
誰かと一緒なら食べる私、に付き合ってくれているのだった。
友人たちとたまにワイワイ騒いで飲んで食べて・・・
そのにいる私はごく普通の食事を摂れる私なんだ。

夜も眠れずにいた私。
減っていく体重をどこか喜んでいた私。
頑張れと言った夫に、頑張れないからこうなんだと言った私。
少しは食べようかと笑って言った子供達。
自分も精神科の薬を飲みながら、私の体を気遣ってくれる同僚たち。
最近頬もふっくらしてきて明るくなっていいよって言ってくれる友人。
とにかく連れ出してくれる友人。

私は父や母以外の人には案外恵まれて暮らしているんだなぁと
ようやく思えるようになった。
私を裏切った人にその自覚はないようだし
私がこうなったのはその人の行為がきっかけだったとしても
私自身が抱えてきた問題が噴出しただけに過ぎないのだ。

現在の体重は49s〜52sを緩やかに行ったり来たりしている。
posted by ぢゅごん at 23:51| 宮城 ☁| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月14日

責任

わたしは酔っぱらった父に殴られたり
不幸な結婚生活を嘆く母になじられたり
生まれた場所に居続けるのが苦しくて
逃げ出すように結婚したけれど
「普通」の暮らしって
本当に普通で
なんでそれが20年もの生い立ちの中で
私にはなかったんだろうって
残念なような不思議なような気がしてしまう

育った家にだって
初めから憎しみや怒りがあったわけじゃないだろう
いつかは楽しいと幸せだと
あるいはそれを願って暮らしていたんだろうけど
わたしのいた場所にはなかったね

この先、順番でいけば
親が先に死ぬだろう
その前に手を貸さなければならない事態にもなるだろう

何故私が?

という思いが強すぎる
あの人のために何故私が?と

親だから子供だからと
自然に湧く愛情もあるだろう
そう愛情を自覚していなくても
弱ればかわいそうという感情が湧く人もいるだろう

私にはない
憎いとか恨んでいるとか
そういう強い気持ちすらない
もうあの家で育った20年間は
遠い遠いまるでなかったかのような月日だ
親ってなんだろう・・・
私が自分の子供に向き合っていることと
あの人たちがしてきたことはどう違うんだろう?
私がいい親なわけはない
いろんなことにいい加減だし自分勝手だし
つまらないことを押しつけたりもしている
相互の愛情が通っているかと言われれば
それは子供に聞いてみなければわからないが

わたしは親に対して
他人以下の気持ちしかない
どうなっても心が揺るがないのだ
それはわたしが悪いのだと今でも母は言う
お祖父さんに育てられたからだと憎々しげに言う
わたしの性格が悪いから
わがままで家を出て行くような子供になったんだと言う
posted by ぢゅごん at 14:32| 宮城 ☁| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月27日

心配なんかしてないけどな

父親が体のどこだかが痛いだかなんだかあるらしく
どうもそれはケガではなく、放っておけば深刻な状態になる
「可能性」があるんだそうな。
うちの父親は偉そうに威張る人間だが
<チキン>である。
病院へ行けば日頃の不養生の成果が
白日の下にさらされるっていうか
現実を突きつけられるのが分かっているので
死んでも行かない、と駄々をこねる。
そういう言葉ではなくなんだかもっともらしいことを言う。
っつぅかあたしにとってはどーでもいいんだけどね。
母親はその「一応具合は悪いので機嫌の悪い夫の相手に嫌気がさしている」
わけなので、なんとかしてくれと泣きついてくる。
っていうか、ホンッッッッッとにあたしにとっては
どうでもいいんだってば。
死にたくなきゃ医者にとりあえず診てもらえ。
屁理屈を言って拒否するなら勝手にしろ。
そんで重症化しようが寝たきりになろうが
そうなりたかったんだろう?って話だ。
あたしと母親が一番困るのは
そういう自分勝手な父親の看病に時間をとられる=生活に困る
ってことだけだ。
その辺も重々承知であるはずの人間が
自分のことしか考えずに病院へ行かない、治療をしたくない、って
どこまでも言い張るんだったら
勝手にしろとしか言いようがない。
説得をして欲しい、その相手は娘であるあたししかいないって
こんな時ばっかりアテにされたが
心の底からどーでもいいと思っている相手のなにを
説得しろって言うんですかねぇ?みたいな・・・・。
意地を張って心にもないことを言っていると思われるかもしれないが
或いは、この鬼!と言われるかもしれないが
あたしにとってあの人が死のうが生きようが
あたしの生活に影響がなければどうでもいいことなのだ。
今はDVにさらされることもないし、
金銭的にあてにされることもないし、
どっちかっていうとあたしと母親のいがみ合いの仲裁に入るような
ところがあるくらいだが
それでもあたしの記憶の中から「この人への拒絶」という感覚が
消えることはない。
憎いとか恨んでいるとかそういう感情すら持つことが嫌だ。
何一つ<考えたくない><面倒くさい>そんな感じ。
これも一つの現実逃避かもしれないけどね。

母親がどんなに自分の窮状を訴えても
あたしの感覚には「自分でここに居続けたんじゃん」
としか響いてこない。
こういう人間だって事はとうの昔に分かっていたはずだ。
何度も別れろと言ったはずだ。
あたしは一度だって引き留めたことだってない。
それでも居続けたのはあんたでしょう。
あたしにはどうすることもできないことだ。
さんざん家庭は崩壊していたのに
今更あたしになにを取り繕えっていうのさ?

あたしに優しさがないって責めるけど
あんたはあたしに優しさはかけなかったよね。
だから少なくともあんたとあの人に
優しくなんかするもんか、って思って育ったけどね。
ま、あたしも人格異常者なんだろうけどさ。


というわけで、
ちょっと荒んでいます。
不愉快だと思った方は、賢くスルーしてください。
posted by ぢゅごん at 22:35| 宮城 ☁| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月20日

それでも自分が悪いのか

あたしが親とうまくやってこれず
その頃の下地は今も人間関係構築に
影響していると思っている(親の所為!っていう意味ではなくても)

鶏と卵の関係のように、どっちが最初でこうなったとか
それはもうどこまでも遡る鎖みたいな話になるが
父親は父親で、今で言えば性格異常の気がある祖父に
悪い影響と共に反面教師としてこうはなりたくないという部分を
植えつけられていたのだろうし
母親は母親で、ある時期さらされた「差別」というものとか
父親と結婚してしまったがために生まれた余計な苦労とか
諸々の出来事をマイナスにしか考えられずに今暮らしている。
誰でも逆境とか訪れた不幸を嬉しいなどど考えないだろうが
とにかく嘆く。どこまでもいつまでも嘆くのだった。
その言葉は少なくともあたしに、もうどうすることも出来ないのだ
という絶望の刷り込みをした。
この歳になってなのか、実家から離れて二十年近くなるからなのか
いまのあたしは「そんなわけねぇだろう」って
鼻でせせら笑えるようになった部分もあるが
ずっともう存在の根底から『ダメ人間』と思い込まされていた。
母にそういう意図があったわけではないのだ。
自分の言動があたしにそういう影響を与えた、ということすら
「そんなの生まれ持った性格だ。お前がおじいさんに育てられて
 わがままだからだ。」
とまぁそういう感じ。
っつぅかさぁ?
頭がでかいだの足が短いだの、やさしさがないだの
「全部悪いところばっかり似るんだよねぇ」
って不良品扱いだからね(笑
作ったのはおめぇだ。
すべて丸ごと否定することが謙遜していて美徳って
思ってるみたいだよ。
まぁうちのこ天才!みたいな親もどうかと思うけどさ。

家の中が揉めに揉めていたり、あたしが誰かと揉めたりしても
「我慢しなさい」
家庭が壊れてしまった人に対しての考えは
「女の我慢が足りなかったから。自分はこんなに不幸だけど
 我慢してみんなの犠牲になってるから家庭が壊れない」
だったりする・・・・。
いや、すでにそういう家庭って壊れてますよ?
ってことにどうして気づかないふりをするんだろう。
そういう人だったので何かあたしが責められる場面に遭遇したとき
庇うというよりは「とにかく謝れ」だった。
大事になる前にとにかく謝れ、って
あたしは中間管理職か???
母親はそうしてトラブルを回避してきたんだろうし
そうしないと維持できなかったものがあるんだろう。
でもそれはあたしの人格とか人生とか
生きる意味自体とまったく異なるものだ。
母親は自分と異質な娘を「悪いこと」「正しい道から逸れている」
という認識で育てた。
そうすることによって、自分の意見=良くない希望、願望
という刷り込みがあたしにはある。
親の所為にするなと思うかもしれないが
あれだけ自分を殺せそれが正しい、自分の意見を言うのは誤りだ、と
二十年以上言われ続けたらそうなるってば。

やがて結婚した家の舅がややモラルハラスメントな人で
決して周りの人をいじめようとか嫌がらせをしようという
意図はないのだが
自分の意見を押し通すあまり
ひとの意見というものを「間違っていること」と決め付けるのだ。
自分はこうしたいんだけど、いいか?というやり方ではなく
こうするのが正しいことなのにどうしてお前は反抗する?とか
俺の言うことだけ反対する!とか
意味不明な論法でやってくる・・・。
で、姑と夫は面倒くさいから聞き流しているのだが
あたしにすれば自分というものすべてを否定して
舅の理屈に合わせていないといけなかったので
そのストレスの度合いったらノイローゼ状態でしたわよ。
ま、うちの母親はそういう話をしても
「あたしはあんたのおじいさんのそういうのに耐えたんだから
 耐えられないあんたが悪い。大体舅つとめがあんたに出来るわけ
 ないって結婚する前に言ったのに。我慢できない人が悪い」
だったので、別にもう話すことはないって感じですな。
かといって一緒に激怒しまくりで
婚家に乗り込まれても迷惑千万なんだけどね。
何が起きても「あんたが悪い」・・・。

なんでだよ?

あたしにはあたしの考えがある。
それをすべて押し通したいわけじゃない。
舅の意見があったとき、そう思わなければノーと答える自由が
何故ないんだろう?
あたしはこの先何があってもイエスしか言ってはいけないらしい。
それはあたしを絶望させた。
もうあたしいなくてもいいじゃん、って思っていた。
だから本心から死にたいと思っていたわけじゃないくせに
死のうかなぁ〜って暗い部屋でカミソリを持っていたことは数知れず。
ま、カミソリぐらいでそうそう死ねるもんじゃねぇな。
そんな破壊性が子供に向く前に(子殺しだけはしたくなかった)
あたしは結婚を解消しようと思ったんだよね。
舅姑から夫が離れないというのなら、あたしは家を出る。
なにがなんでも出る。
そんな追い詰められ方をした。

その辺の経験っていうのは
義父母と同居した人ならある程度分かることなのかもしれないけど
頑張れならまだしも、あんたが悪いしか言わない親って
結構凹むで? 笑
義父母のことも決していいとは言わなかったけど
どんな相手でも我慢できないあんたが悪い、ってさ。
そうなのかぁ?・・・・・・
いや、あたしは今でも嫌なものは嫌!としか言えない人間なので
不毛な我慢はする必要はないと思っている。

そういう現在、母親とは会うたびにいがみ合う。
口うるさいという状態ではなく
あたしのすることに文句の機関銃放射。
いいからいいから、って受け流していると
ますます酷くなり興奮してくるので
「うるせーな」
という言葉をやんわりと言うことになる。
さすがにうるせーな、とは言わないオトナだけどさぁ
最後には「いい加減にしろ」となってしまう。
従兄には「そろそろ母親のことを理解してやれ」みたいに言われるが
それって死んでも無理だと思う。
なんていうか、酒乱でDVで殺される恐怖に慄いて暮らした
父親だったけどそっちのほうに恨みはないんだよ。
(多大な影響はあるにせよ)
父親はあたしのこの規格外なところを割りと面白がって認めていた。
いろいろ監視のうるさい父親であったが
最後のどこかでは「俺の子供だもん、普通なわけねぇ」
って思いがあったようだ。
そのとーり。
我慢させる側と我慢する側の違いなんだろう。
あたしはなんと言われようと我慢する側になって
一生を嘆いて暮らす母親のようにはならないって決めている。
必要な我慢もある。
でも、それをしたくないのならしなければいいのだ。
我慢することを選んだのなら嘆いて暮らすな。
嘆くことでは何も生まれない。
あたしは自分の人生が自分のものでなくなることが一番嫌だ。

それでもあたしが悪いのか?

posted by ぢゅごん at 11:27| 宮城 ☁| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月28日

永遠に分かり合うことのない人と

高校生の頃、同級生のお母さんが亡くなった。
ずっと闘病中だったから突然の出来事ではないにせよ
多分その子にとってショックだったと思う。
多分、そうあたしにとってその感情は
きっとそうなんじゃないかな?という想像の域を超えない。
別にあたしが親と死別していないからということではない。
親に死なれたら悲しい、辛い、という感情が
まったく備わっていないからだ。
かといって殺したいほど憎いとか、そんな感情を持っているのでもない。
「無関心」という事なのだろうと思う。
***ちゃんのお母さんが亡くなったんだよ、と別の同級生に知らせたとき
その場で泣き崩れたのは母一人子一人で暮らしていた子だった。
その様子にかなり面食らった。
なんで自分の親でもないのにそんな風に感情を乱すの?と。

お母さんを亡くした友達のことに関して言えばとても気の毒に思ったけど
それと自分の中の『感情の動くところ』はまったく連動しなかった・・・。


よくテレビや映画を観ていたり、新聞を読んでいたりして
酷く感情が揺さぶられることがある。
親子の物語だったり美談だったり。
世間一般的に思う「親子のつながり」というものを
否定しているつもりはないのだ。
ただ、自分に当てはまるものが無くて困る。
あたしは実の親が苦しんだとか困ったとか愚痴をこぼしても
ひたすら面倒くさく思うだけで、どこか「ざまあみろ」的な感情が湧く。
そんなに嫌な自分の人生だったのなら、どこかで舵を切ればよかったではないか?
あたしが「お父さん、お母さんが可哀想」と思っていたわることを期待しているのかいないのか
結局最後は<理解出来ないあたし>を罵って終わるので
疲れることこの上ない。
誰かの為に犠牲になる、と自分を慰めるのは結構だが
その帳尻をあたしに持ってこられてもどうすることもできないし
どうしてあげたいとも思えない。

家は安らげる場ではなかった。
いつも身の危険すら感じていた。
だから、人を観察し雰囲気の変化を察知する能力はついたけど
人を心底信じることも出来ないでいる。
何もかもが親の所為だと言いたいわけではない。
少なくとも親は「持って生まれた性格だ」と言い切るわけだし。
どんな理由であろうと、あたしは今この瞬間に親がどうにかなったと知らせを受けても
まぁ少しは驚きはするだろうが、涙一つこぼさないだろうなと思っている。
葬儀の時に父や母の友人達が読む弔辞の「出来映えのすばらしさ」に涙することはあっても
故人を悼むとか偲ぶとかそういう感情は湧かないだろう。
一番基礎で育まれるべき感情が、あたしには育たなかった。
誰が悪いのだろう?
あたし?それならそれで結構。
原因がなんであれ、もうその感情はあたしには備わらないものであることだけが真実だ。


不思議だなと思うのは、そんなあたしの子供でありながら
我が子は「親に対しての普通の感情」があるようだ。
あたしが寝込めば可哀想だと思い(無関心な娘もいるが)
痛い、辛い、悲しい、嬉しい、楽しい、という
ごく当たり前の感情を自分の感情と重ねることが出来るようだ。
自分の困った話、周りの人に対しての裏の感情、
そういうものまで話し訴えかけようとする。
ある種「普通の親」なら言わないであろう種類の励ましを
(人間には裏というものが必ずあるのだ、と言うような内容)
素直に聞き入れて人間関係を調整する。
なんだかすごい・・・。

いつあたしの感情は千切れてしまったんだろう。
posted by ぢゅごん at 20:28| 宮城 ☀| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月20日

苛々の素

我が家は小学校が近い。
学校行事でジジババが動員される時に
うちを駐車場にするのは一向に構わない。
そんなのは(駐車台数の)計算のうちだ。

が。

ジジババの「交友関係者」にまで手を広げられたらどうなる?
うちは大邸宅でも豪邸でもない。
敷地数十坪の普通の宅地だ。
普通車が何台停められるってんだ?

っていう狭さの問題よりも、
あたしに何の断りもなく約束してくるっていうのが
どういう感覚なのかがわからん・・・。
あたしにだって約束する相手がいるかもしれないじゃない?
で、当日ダブルだかトリプルだか知らないが
ブッキングしちゃってたらどうする気なんだよ???
自分の家じゃないんだから、一言断るってのが筋だべ?
こういう感覚があたしを苛つかせる。

そうだよ、そこの実母のあんただよっ

あぁぁ・・・・疲れる。
そんで文句を言ったら「ハイハイ、あぁそう」
だってさ。
親子じゃなかったらあんたなんかと一生会わずに暮らすのに。
posted by ぢゅごん at 21:26| 宮城 ☁| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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