2010年04月27日

学校の夜桜

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なかなかだぜ
posted by ぢゅごん at 21:32| 宮城 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月26日

土曜日の朝食

二人のときでないと
話したくないことで
たまたま予定のない土曜日に
子供たちはまだ寝ていた
だから話し始めたとき
いつもと同じように
あの人は話を遮り
すべてを否定した

そう。
私にはもう、あの人に向けて
語りかける言葉なんてない
聞きたくないのなら
別に言う意味もない


毎日毎日毎日毎日毎日毎日
酔い潰れて床で寝る人のために
なんでベッドメイキングが必要?
だからある日から一切辞めた

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
酔い潰れて会話の記憶がない人と
なんで話をしなくてはならない?
バカらしいと思いながら
それでも笑わせる会話をしていれば
子供たちも同じ部屋でくつろぐだろうと
「努力して」話をしていたんだ

以前はね。



土曜日の朝食が最後の我慢になった
私にはもうなにも
あの人に話したいことはないんだ
笑わなくても
黙りこくっていても
なんにもしなくていいから楽だ
話さなくてはならないことすら
話さなければそれで済んでしまうもの


テレビを観なくなったのも
あの人の感性に同調出来なければ
不穏になるだけだから
一緒に観たくない、と遠ざかったら
なんて楽なんだろうと思ったからだ

あの人の時間割や行動に
関わらないと決めたら楽過ぎて
本当にもう、
何を今まで話してきたのか思い出せない


あの人に話すことが
なんにも涌いてこない
posted by ぢゅごん at 23:20| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

似て非なるもの

勝気な人(このへんではキカナイ人ってのがごく一般的な言い方かな)と
意地の悪い人

は同じ強気な態度でいても、その意味合いは全然違うと思う・・・。


私がどちらの分類か、は
私を知る人に任せよう・・・・。
誰だって自分は悪くないと思いたいものだ(皮肉


キカナイ人・・・・は、ポンポンと遠慮なくものを言うところがままあるが
心根は情に厚い人だったりすることが多いから
困っている人や弱い立場の人に攻撃を仕掛けたりはしない。
むしろ味方になってくれることが多いかも。

あくまで私の主観。

意地悪な人は・・・
同じように遠慮なくものを言うが
相手を自分よりも下だと思う立場から発するので
見下している相手に大変攻撃的である。
その代わり自分にとって得だと思う相手や
気に入られれば得をするであろうと思う相手には
とても友好的であり、非常に丁寧に接する。
しかしながら、そこには常に「値踏み」が存在し
ある時点で、得ナシと判断されれば
あっという間に格下扱いとなり攻撃の的とする。
その内容たるや、容姿から生活ぶり・・・相手の弱点を突いた批判
などなどとても的確に相手のツボを刺激する鍼灸師並みの腕前である。
ただし体調が良くなるという効果は全くなく
むしろ体調が劇的に悪くなるのが難点なのだが
それは意地悪な人にではなく意地悪をされた人におこる現象なので
そんなこと(自分がやった意地悪の数々)を
される方に非があると堂々と言ってのけ
気づくことはない。

あくまで私の主観である。

キカナイ人は、意外と単純で
現時点で立腹して激しい罵声を浴びせた相手にでも
違う場面で困っていると気づくと
本心から同情し力になってあげたいなどと思ったりする。
あるいは、本当にキカナイ人というのは
自分の不満などのマイナス感情を殆ど現さずに我慢し
他人につけ込む隙を与えないように自分に砦を作り頑張ったりする。
が、いざ反論すると決めると
相手に逃げ場を与えない理路整然とした批判でやり込めたりする。
なので普段笑顔で過ごすことが多く
我慢の限界を超えると非常に深く熱く怒り沸騰になるので
「怒らせると怖い」という判断のもとに生活することになる。

あくまで私の主観と思い込みによる。

意地悪な人はとても執念深く
一度「自分の嫌いな人」に分類したら
二度と自分と同じよう人間としての感情のある相手、
などという尊重した態度と目線で見ることはない。
すべて粗さがしの対象となるので
他人相手に話している会話ですら
「耳障りだ、黙れ、無神経」と
聞こえるような声で陰口を言う。
いつも誰かを批判した目線で見ているので
突然キレるというような変化には乏しいが
誰かを誉めるということはあまりしないか
した場合は下心があるので逆に注意が必要だ。
不満がある場合、本人は助言とか注意したという認識だが
罵声と言うに等しい捨て台詞を吐いてその場から居なくなることが多い。
したがって、言われた方に反論の余地はなく
追いすがって反論しようものなら「キレた人」という
世間の目が向けられるのは言われた方になりがちである。
相手が困らないように準備してあげるというのは友人関係に限られ
何でもない相手にはそのままの状態で扱い
気に入らない相手には書類を一枚ぬくなどの悪意を込めて対応し
失敗しやがれ、困ればいいんだという気持ちをこめ
背中に向かってアッカンベーをするアラフォーな女性に成長したりする。

あくまで私の主観と思い込みである。

キカナイ人は人間関係の中で一番であろうとか
そこに順位を求めないが(仕事などは別)
意地悪な人は座の中心でなければ気が済まないので
自分より目立つ人の足を切り落とす勢いである。

あくまで私の勝手な妄想である。

だがしかし、そういう人間にならないように気をつけたいので
書き記しておこう。
posted by ぢゅごん at 10:47| 宮城 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月25日

魂の値段

子供の為になら鬼にでも悪魔にでもなれるってよく言うが。
あたしは絶対に詫びたくない内容と相手に
子供の為に魂を売って詫びを入れた。
それで相手が満足し、子供の一番大事なものがとりあえず守られるなら。

口先だけの謝罪、だ。
本心から言えというなら、今からだって罵る言葉をいくらでも言える。

そんなことで相手が満足するなら、
これから紡ぎたい人間関係がある相手でもない人に
いくらだって嘘が言える。

あたしはあの相手を心底軽蔑しているし
私に非があった(一方的に非難されるような、という意味の)とは
微塵も思っていない。

なんと言われようと、思えない。
posted by ぢゅごん at 21:09| 宮城 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月22日

何故?と問うから

何故?


それが突然だったから
私には理解出来なかった
責めたいとか
罵りたいとか
そういうのじゃなく
納得したかった…


私が不要なら
それで答えだ
覆せとは誰に言えよう


私が欲しかったのは
もう、違ってしまったんだよ
という区切りだった


問うだけ無駄だと飲み下すまで
長い時間がかかるものだ


何故?


それをね、
ひとこと聞ければ
それだけでよかったんだ


いまさら「違う」意志表示をされることが
こんなにも白々しい
信頼感がなくなると
言葉全部が軽薄で厭味で自己保身に聞こえる


一度裏切られたら相手を笑え
同じ相手に二度裏切られたら自分を笑え
そういう格言がある
まさにそんな気持ち


あなたに寄せる信頼は
私の持ち得るアイテムのなかには存在しない


何故?


そう問うたとき
逃げないで応えてくれたらね……

さようならのときが
もうすぐ来るね


何故?


もう問うのはやめたんだ
posted by ぢゅごん at 23:17| 宮城 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バババカ(笑)

近況を写メしてくれる叔母…
最近、初孫が産まれた


赤ちゃんは非常〜〜にカワイイのですが
突然「動画」メール送られると
正直ビビります…


パケホじゃなかったら
いったいいくらなんだ?(笑)
posted by ぢゅごん at 12:50| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

永久凍土

現状なにも変わらず

そのことに動揺もせず

私に構わないでくれるなら

別にこのままでもいいか


って思う
posted by ぢゅごん at 08:05| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

私信

爺!
ゆっくり、ゆったり。
抱えられないもんは
干からびるまで
ほったらかしていいから。
頑張らなくていいんだよ〜。
posted by ぢゅごん at 19:36| 宮城 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

酒飲みとしては

以前から時々発売されては消える
ノンアルコールビール


最近のうたい文句は
子育て中のお母さんをフリーに
だそうだが…


妊娠期間と授乳期間に
飲酒したらイカンのは
確かに長い我慢なのかもしれんけど
アル中じゃあるまいし
ビール味のドリンク飲まなきゃ我慢出来ないものなんか?


遊びに行っても
ドライバーだって飲めるよね
って、ヨカッタネ的に言われても
別に帰宅して車から離れてから
ゆっくり飲めばいいじゃんか?
としか思えない
出先で車があるのに
飲まずにはいられない、っつー心境が
いまひとつ理解出来ない

酒飲みとしては
美味い酒を時間や酔いも堪能してこその
美味さだと思ってるからね〜…


女だから酒を飲むなとかって
死んでも思いませんが
ビール味のドリンクなんぞで
母親にも自由を〜!なんて語られると
不愉快になるのは何故なんだろう?


だいたい、酒は
飲まなくちゃならないもんではなかろうが?
あ〜と〜で〜〜、が出来ないオトナが
多過ぎですね
posted by ぢゅごん at 12:47| 宮城 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

本を読むということ

上の子供が三歳くらいの時から定期的な配本の会にに入り
それぞれの年齢に合った「良い本」を与えるという環境がある。

が。

良い本ってなんだろう?
と、不良会員のあたしは常々思う。
読書はこうあるべき!とか
読み聞かせは親としての義務!とか
本好きな子供にしなくては!みたいな
強迫観念を持って本を与えるなんて
親も子も苦痛でしかないと思うのだが・・・。

要は、子供がふと「何も考えないで」本を手に取れる環境があれば
それだけでいいんじゃないかと思っている。
本なんてものは、人との出会いとおんなじで
どんなに「良い」とされるものであっても
自分の感性と合わなければあまり意味がないのだ。

ベストセラーになっている本が自分にとって「良い」かどうかは
まったく別の話なんだよ、と。

子供の絵本はまたそういうベストセラーなんかとは
一線を画してはいるが
(だから名作と言われるような本がどんどんと廃れていっている)
親の経験や目や知識だけでは選びきれないたくさんの本を知ることができて
そのことだけで子供に本を与えたかったという目的は果たされている。
あたしの場合は。

真剣に読んだ本もあるし、一通り目を通しただけで本棚行きってのもあるし
日常の忙しさに紛れて読まずに積ん読になっているものもあるようだが
それはそれでいいのだ。
ある日何かのきっかけで、手を伸ばしたらソレがある、だけでいいんだ。

相方は『読まないならもうその会を辞めたらいい』と子供に言う。
決して安くはない出費を知っている子供は
財務省の母の顔を見て返事に困った顔をする。
要らない、とは言わないのだ。
毎月新しい何かがそばに来るという安心感。
本があるということの安心感。
本を読むという時間の中に自分を置く安心感。
こういうのは読まなくてはいけないという義務感からは生まれない。
読みたいとき読めるときに読めばいいではないか。
お金の問題ではない。
まぁうちは月々ウン十万円とかウン百万円って話なら絶対に無理だが・・・
それが可能な家庭ならアリだろうし。


月々何万円も支払って塾に行き
一生懸命勉強する人生もひとつ。
勉強はさほど重きを置かなくても
自分のやりたいことで切り開いていくもひとつ。
自堕落に生きていくのもそういう選択であろう。
なにか正しいかなんて、ない。

あたしは子供に、本を読むという日常を与えたかった。
それによっていい子になって欲しいとか、
勉強のできる子供になるはずとか、
そんな恩恵は期待していない。
感性が育つ時期に夢中で読んだ本や遊びや経験は
その人の「豊かさ」になるのだと思っている。

勉強がどうだろうと、経済的にどうだろうと
ひととして一番大切なのは「人格」ではないか?
偉そうにする格などは要らないが
やわらかな心に育った感性は、ひとを思いやれると信じている。
さまざまな尺度というものが世の中にはあり
一番になれる人も入れば、いつも列の後ろに並んでいる人もいる。
そのどちらが偉いとか偉くないとか
優れているとかいないとか
そういう価値観でないものを、
子供の本は示してくれている。

配本の会報には、読書好きのこどもになれば
こ〜んないい子になるとかならないとか
そんな体験談も美しく語られているが
どうもそういうのにはいまだ馴染めないでいる。
本がどう子供の成長に影響するか、や
テレビの弊害やらゲームの弊害
「良い本」とは言われない、ジャンクフード的な雑誌への批判・・・
そういうものに子供を触れさせないように、と勧めている。

どんな良い物に囲まれて育っても
社会に出れば汚れたものと、悪いものと混在して生きていかなければならない。
あたしは決まりごとのある贈り物のなかで、
子供が欲しがればそういった「良くないもの」も与えた。
テレビもゲームも(規制はあるが)自由にやっている。
インターネットはさすがにサイト制限をかけているが
子供がそっちのほうに重きを置いて精神活動をしないということに
妙な話だが自信を持っている。
テレビもゲームも「更新」されなければつまらないのだ。
次々と新しい情報を塗り替えてもらわなければつまらないものなのだ。
そういう言葉で教えたことも話したこともないが
うちの子供たちはテレビも何もつまらないと感じた時
何度も読み返した本を静かに読んでいる。
ジャンキーな雑誌のばかばかしさにも気づくと欲しがらなくなる。
親はそれを排除するようにと言うまでもない気がするのだが・・・。

明日の朝読書に何を持っていこう?と
きょうだいで本棚の前で選ぶ姿とか
ナントカのシリーズ一巻がおもしろかったから
次からは交代で続きを揃えていこうとか
共通の話題を持ち
親の本棚から「赤毛のアンシリーズ」を読んでいいかと聞きに来たり
それがうちの繋がりになっている。

本は読むべきものではないし
読ませなくてはいけないものでもない。
読みたくなるものであればいいと思っている。
posted by ぢゅごん at 15:24| 宮城 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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